第3回全日本学生空手道個人選手権大会で優勝  友寄隆一郎(賢友流宗家)
昭和37年には団体戦初優勝
関大二人目のチャンピオン誕生
団体と個人、二つの選手権を手中に
6年ぶり二度目の団体日本一
  
  
  
第3回全日本学生空手道個人選手権大会で優勝  友寄隆一郎(賢友流宗家)   
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≪東西対抗でまず勝ち名乗り≫
 昭和34年7月5日、大阪府立体育館で第3回全日本学生空手道個人選手権大会が開かれた。本学空手道部からは主将友寄隆一郎(昭37学1商)をはじめ、根来功(昭35学1経)、村上隆一、出口賢二(昭35学1経)、岡村進(昭35学1経)、田中顕一(昭35学1法)らがエントリーした。
 個人戦に先立って各大学からよりすぐった拳士30名ずつが戦う東西対抗戦が行われた。本学空手道部の監督で、西軍の監督を務めた入江一美(昭32学1経)は、大将に関大主将友寄を起用した。個人選手権の行方を占うトライアルとの見方もできる東西対抗戦は前半、西軍がリードし、それを東軍が追い上げた。そして28組手が終わった時点でほ14対14で全くの互角。残る副将、大将戦の結果で勝敗が決まることになった。
 その副将戦で西軍は健闘、貴重な勝ち星をあげて一歩リードし、大詰めの大将戦を迎えた。東軍の大将は拓殖大主将の牛島征四郎。友寄対年島の対決は東西対抗白眉の一戦となり、観衆はかたずをのんで見守った。「始め」の声で両者の間合いがつまった瞬間、双方の激突はほぼ相打ちのように見えたが、友寄は巧みにかわし、体勢を下げて下から拳を繰り出した。「肉を斬らせて骨を断つ」式の突きが決まり、16対14で凱歌は西軍にあがった。
  
≪「黄金の左」で登った階段≫
第3回個人選手権大会は友寄にとって学生時代の綽尾を飾る試合であった。
その個人選手権に臨むにあたり友寄が優勝候補の一角、牛島に1本勝ちしたのは精神的にも大きなプラスとなった。友寄は慎重かつ果敢に攻めて一戦一戦勝ち上がっていった。友寄には「黄金の左」があった。前に出て相手のふところに入り、最後は「左の突き」で決めるのである。チャンピオンヘの階段はこの得意技で登っていった。
  
   友寄 中段突き 竹内(拓殖大)
準々決勝    友寄 上段突き 上野(東京大)
準決勝    友寄 顔面突き 矢田(天理大)
決勝    友寄 中段突き 田中(関大)
  
決勝には僚友の田中顕一が勝ち上がり、期せずして関大同士が相争うことになったが、優勝と準優勝を関大が独占し、力のほどを誇示する絶好の機会ともなった。田中は長身でリーチがあり、蹴りを得意とした。お互いに手の内を知りつくした仲ではあったが、友寄の左腕が冴えを見せ、優勝を手中におさめた。

  
 
 S34 関西大学初の全日本チャンピオンとなった友寄隆一郎
   
昭和37年には団体戦初優勝
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本学空手道部が初めて全日本の団体戦を制したのは昭和37年11月11日、大阪府立体育館で開催された第6回大会であった。優勝への軌跡は次のとおりである。
一回戦
二回戦
三回戦
四回戦
準々決勝
準決勝
決勝
  関大 4 − 1 武蔵大
  関大 4 − 1 国学院大
  関大 5 − 0 姫路工大
  関大 5 − 0 東京工大
  関大 3 − 2 東洋大
  関大 3 − 2 慶応大
  関大 3 − 2 愛知大
 先鋒・並里誠行(昭38学1商)、次鋒・木戸祥隆(昭39学1経)、中堅・後藤作夫(昭40学1経)、副将・永橋義清(昭39学1経)、大将・稲葉久二 (昭40学1経) の布陣は全国制覇を十分狙えるだけの実力を持っていただけに奇策に走る必要がなく、先鋒、中堅、大将でポイントをかせぐオーソドックスな戦法で試合に臨めばよかった。しかし、いざ試合となると次鋒・木戸の活躍が光った。「二番手木戸のおかげで優勝できた」と、この年の春、入江から監督を引き継いだ友寄が言うように、木戸は決勝の愛知大戦でも対戦相手の後藤に一本勝ちして優勝に大きく貢献した。また、7勝0敗と先鋒・並里の投げ技も冴えた。さらに先輩・後輩を問わず厚い信頼を寄せた大将・稲葉も、2対2の大将決戦となった準々決勝、準決勝、決勝のいずれも危な気なく勝ち、期待にこたえた。中堅・後藤も右の蹴りがきれいに決まり、この日、7戦して6勝をあげた。後藤は39年と翌40年の2回、全日本学生OB選手権大会でも優勝した。

   

関大二人目のチャンピオン誕生
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昭和40年7月4日には関大から二人目の学生空手道チャンピオンが誕生した。経済学部3年次生の松崎愛生である。大阪府立体育館で開催された第9回全日本学生空手道個人選手権大会では128選手が「日本一」の栄冠をかけて激突した。「松崎(関大)が初優勝」の三段見出しが躍る毎日新聞(40年7月5日朝刊)の戦評に目を通してみよう。
松崎はせいぜいダークホース的存在だったが、一戦ごとに調子をあげた。準々決勝では平川(同大)の得意のケリを封じてツキを決め、決勝では大技をふるう長岡(近大)の動きをよく見て、まずツキをかわして左からのツキで技あり、続いて相手の出るハナを右から中段ツキを決めた。小柄ながらスピードとカンのよさが抜群で一つひとつの技のくっきりしたあざやかな試合ぶりだった。
対戦結果ほ次のとおりである。
準々決勝 松崎 技あり 平川(同志社大)
準決勝 松崎 あわせ技 佐伯(近畿大)
決勝 松崎 あわせ技 長岡(近畿大)
    

団体と個人、二つの選手権を手中に
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関大三人目のチャンピオンは津田圭輔(昭45学1法)である。法学部四年次生であった。昭和43年6月30日、日本武道館で開催された第12回全日本学生空手道個人選手権大会で実力のほどを示し、優勝をさらった。チャンピオンヘの足どりは次のとおりである。

第12回全日本学生空手道個人選手権大会
左から出口、津田、相模、岩武
S63.6.30日本武道館
一回戦 
二回戦
三回戦
準々決勝
準決勝
決 勝 
津田 2−0 津田(福岡工大)
津田 2−0 近藤(慶応大)
津田 2−1 松倉(拓殖大)
津田 1−0 樽(天理大)
津田 2−0 前田(日大)
津田 2−0 福味(法政大)

第12回全日本学生空手道個人選手権大会
3回戦 津田圭輔対松倉(拓殖大)
S63.6.30日本武道館
 
   
   
  
6年ぶり二度目の団体日本一
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さらに津田は五カ月後の昭和43年11月17日に開催された団体戦でも大将として連戦連勝の活躍を見せ、宿願の団体優勝をとげた。津田は団体と個人、二つの日本一を手に母校関大の名を高めた。空手道部の団体優勝は六年ぶり二度目の快挙であった。この大会では優秀六選手の中に岩武大、竹村一(昭44学1経)、嶋田正巳(昭44学1経)が選ばれ、関大勢が半数を占めた。
団体戦の布陣と対戦結果は次のとおりである。

先鋒・岩武 大、次鋒・竹村 一、中堅・出口秀作、副将・嶋田正巳、大将・津田圭輔

一回戦 関大 4 − 1 青山学院大
二回戦 関大 3 − 1 神戸商船大
三回戦 関大 4 − 1 玉川大
四回戦 関大 5 − 0 金沢大
準々決勝 関大 1 − 1 法政大(代表決定戦)
準決勝 関大 3 − 0 拓殖大
決勝 関大 2 − 0 日本大

決勝戦の試合ぷりを毎日新聞(43年11月18日朝刊)は次のように記している。

関大の次鋒竹村がワザありを取ったあと、日大島田の回しげりを払い落として上突きを決め、合わせ技で一本。大将にエース津田がひかえているだけに関大の楽な試合となった。二人引分けたあと、津田は橋本の動きを封じ、上段つきでまずワザありを取り、つづいて小さく後退して相手を引きこみ、再度上段の突きを取った。関大は伝統の突きを中心にワザの決めがみなよく、優勝にふさわしいチーム。




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